第9章 9(夏油視点)
「私はまだ任務中だ
要件があるならメールで送ってくれ」
そう言って会話を強制終了して通話終了ボタンを押した。
「夏油術師、寄りますか?」
看板に気付いた補助監督が声を掛けてくれた。
「お願いします」
「畏まりました」
指示通り車が店の傍にゆっくりと停車する。
都内にある路面店のコーヒースタンドは駐車場などない。
選択肢は路駐のみだ。
「苗字さんは何にする?」
「え?」
「飲み物を買ってくるよ」
「私は大丈夫です」
「遠慮しないで」
「本当に大丈夫です」
希望するメニューを聞けば、頑なに遠慮してきた。
同級生や後輩に同じ事を言えば当たり前のように奢られに来るだろう。
正反対の反応が珍しくて余計に奢りたくなってしまう。
「雨が嫌でなければ一緒に来るかい?」
「え?」
「せっかくだし行こう」
「えっ?」
優しく微笑んで、傘を手に取り外へ出る。
雨の勢いは強いが多少は落ち着いたようだ。
“コンコン”
苗字さんの座る左後部座席のガラスを軽くノックする。
ガラス越しに私と目が合った瞬間、彼女の顔が赤くなったのは気のせいだろうか…
「行こう」
強制はしたく無かったが、どうにか連れ出して2人になりたかった。
理由は私にも分からない。
ただ何となく補助監督の目を気にせず彼女と話したかった。
“ガチャ…”
ロックが解除されドアを引けば、彼女が戸惑いながら車から降りようとする。
雨に濡れないよう傘の中に導き、先程とは異なる穏やかな歩調で店へと向かう。
身長差があるので彼女が濡れないよう傘を寄せ、歩幅とスピードも合わせる。
「水溜まりがあるから気を付けてね」
「は…はいっ」
道路の脇には浅いながらも水溜まりが点在しており、気を抜けば足を突っ込んでしまいかねない。
地下足袋の私にはどのみち手遅れだが、横を歩く彼女はローファーなので無視して歩くという訳にもいかなかった。
「何にする?」
店の外に置かれた看板型のメニューの前で立ち止まり、それとなく尋ねる。
雨でびしょ濡れになったメニューは滴る雫で文字も写真も見難い。
それでも敢えて足を止めて眺めた。
彼女には申し訳ないが相合傘という状況を手放すのが少しだけ惜しかったのだ。