第1章 プロローグ
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結鈴がきゅー助に笑いかけた頃、同じ建物内の一室では『いってらっしゃい』と送り出してもらったのにも関わらず出発していない男が居た。
「ん……謙信様、もう馬車の用意が出来てますよっ」
謙信「今夜は泊まりだから帰ってこられない。
その分に触れておかねばなるまい?」
「ん、口紅がついちゃいますよ…ぁ…」
話している最中に謙信に唇を奪われ、が身じろいでいる。
の身長に合わせて屈んだ謙信は、唇を合わせながら妻の顔を見て笑った。
謙信「文句を言っているわりに嬉しそうな顔をしている。寂しいと感じてくれているのか?」
薄い唇にはの口紅が移り、朝だと言うのに艶めかしい姿だった。
「それはもう……凄く寂しいです。でもお仕事ですから仕方ありません。
私も請け負っている仕事があるので、そちらに集中することにします」
謙信が着ているのは信長達と一緒で国軍の軍服だったが、背には日本刀、腰にサーベルを身に着け、少々変わった身なりになっていた。
謙信「今お前が縫っているのは花嫁衣裳だったか…。
俺が居ないからと夜更かしをするなよ?龍輝に見張らせるからな」
「龍輝は昨夜、徹夜のお仕事だったんですから、私の見張りなんてさせないでください。
帰ってきたらいっぱい寝てもらうんですから」
謙信「信長と交代して1時間後には帰宅して仮眠をとるはずだ。昼には動けるようになっている」
「仮眠じゃなくて、しっかりと睡眠をとってもらわなきゃ。
家ではくつろいで欲しいです」
謙信「生温いことを言っていては龍輝の成長に繋がらんぞ?」
「むっ、厳しくするだけでは駄目なんですよ。
信長様や謙信様に厳しくされているんですから、私は龍輝の拠り所になってあげたいんです。
心の休息をしなきゃ突然何もかも嫌になってしまう時がくるかもしれないじゃないですか。
謙信様だって私が心の拠り所になっているでしょう?
帰ってきて私にすげなくされたらがっかりしませんか?」
左右色違いの目に温かい光が浮かびあがり、の手の甲に口づけすると裏返し、自らの頬にあてた。
自分よりもひと回り小さい手の平に頬を寄せ、感触を楽しむように目を閉ざした。