第9章 桔梗の君
あっという間に夏祭り当日になり、私はいつも通りの一日を過ごしていた……筈だった。
体術の訓練が終わり、制服に着替えて、灰原くんや七海くんと別れて寮に戻る途中。
時刻は16時前。
「オマエさぁ、なんでそんな小さくなってブルブル震えてんだよ」
どうしてこうなった。
寮の駐車場に停められた、五条家の黒塗りの車の後部座席に押し込められ、私は借りてきた猫のように縮こまっていた。
「だって、この車……天下の五条家の高級車で、しかも運転手さんもいるし……」
「こんなの普通だろ」
私の正面には、私服姿の五条先輩が呆れ顔でこちらを見ている。
彼は長い足を組んで堂々と座しているのに、私はキョロキョロしながらビクビクと怯えて縮こまっている。
あまりにも対照的な私達の様子に、運転席に座るお付きの人は苦笑いをしている。
その優しく見守るような笑顔が、逆に怖い。
「高専の正門前に停めたら目立つから、裏門からこっちに来たんだろーが」
「いやいや、寮の駐車場でも浮きまくってますよ」
対面で座れる車なんて、人生で初めて乗った。
しかも、お高いホテルのロビーみたいな、すごく良い匂いがする。
乗っているだけで、首から肩がガチガチに緊張してしまう。
五条先輩のお家が、こんな車を持っているのかと感心している場合ではなかった。
これは何の準備も出来ないまま、このまま神社のお祭りへ連れて行かれる展開に違いない。
「私、どこに連行されるんですか。というか、服くらい着替えさせて下さい。携帯と財布しか持ってないんですけど」
「は?連行?逮捕された犯人かよ。携帯と財布があれば充分だ。時間が無いから出発するぞ」
五条先輩がぶっきらぼうにそう言うと同時に、車が発進する。
揺れも少なく、その静かなエンジン音で、普通の車じゃないことは私でも分かる。
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