• テキストサイズ

七十二候

第40章 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)


 外からコオロギの声がする。虫は苦手だけどこの音は好きだ。クラリネットで虫の声を表現したら面白いのかな、とぼんやりと考えていた。お風呂から上がり冷たいお水を飲んでいたそんな夜。徹から電話がかかってきた。
「お疲れ、萌。返信遅くなったから電話した! ごめんね。」
 昨日の朝のメッセージに対する返信か。
「ううん、返信はできるときでいいから無理はしないで」
「そこは彼氏なんだから無理してでも返事ちょうだい! って言おうよ」
 徹が冗談めかす。冗談と分かっていながらも、そんな迷惑をかけるような女になりたくはない。
「あはは、今の私の発言はかわいくなかったね。でも徹に無理してほしくないっていう乙女心も分かって」
「ほんと、頼もしい子だな……イケメンって萌のことを言うんだろうな」
「私が徹よりもイケメンならば、徹からその称号ははく奪しよう」
「そしたらただのバレーボールバカになっちゃう」
「その自覚はあったんだね。バカがつくところ」
「ちょっとそれ褒めてる?」

 私たちはそんな冗談を語らいながらしばらくは近況について報告し合っていた。
「26日がコンクールの本選かぁ。10月26日は俺的に人生のターニングポイントだった日だから思い出しちゃうな」
「……春高の宮城県大会だね」
 徹が目標にしていた打倒牛島くん。打倒白鳥沢を叶える以前に烏野高校に敗れた日。
 平日だったため試合を見に行くことはできなかった。だけど聞くところによると、かなりの接戦だったし、徹の精巧なセットが話題になるほど素晴らしい試合だったらしい。正直、どちらが勝ってもおかしくなかったとか。
 
 その日、徹たち3年生だけで高校へ戻り、高校生活最後のバレーをしていたのを私は体育館の外から見ていた。
 徹が泣きながら「3年間ありがとう!」とみんなに語り掛ける。つられてみんなが泣いている様子を影から見た。そんな徹たちの姿に胸が苦しめられた。
 私も全国出場を果たせずに夢破れた。お互い、高校では最後に負けて終わってしまった。
 こんなに、こんなに努力したのに何で神様は徹に味方しないんだろう。彼以上に努力している人を私は知らない。
 まるで神様に試されているみたいだ。
/ 234ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp