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七十二候

第23章 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)


 今日梅雨明け宣言があった。いよいよ季節は大暑となる。太陽が国旗の国にいる徹にも、日本の太陽の力が届くように祈った。今、アルゼンチンは冬だから、太陽を背負うには、きっとその力が必要だろうから。

 昨日は徹と久しぶりに楽しい時間を過ごせて、心身ともに調子が良かった。
 今日は池袋のホールでの公演がある。徹に「行ってきます」とメッセージを入れて家を出る。外は日差しが暑く溶けそうだ。そろそろ蝉が鳴き出すだろう。蝉はものすごく苦手なので今から嫌だと思ってしまった。

 山手線に乗っている間、これまでのことを振り返る。
 日本に戻って、4月からプロになり、これまで新しい生活に四苦八苦することも多かったが、徹との過去を思い出しては、励まされてきたし、今も私の背中を押してくれている。
 
 桜を見ては4月の新学期の出来事を思い出し、春の嵐で徹に言ってしまったことを思い出す。快晴の5月は男の子とのデートを心配した徹を思い出し、徹の言動が判然としないと感じたのは梅雨の時期だったと思いだす。夏のことも、秋も、冬も、全部覚えている。
 ……あぁ、私は徹とたくさんの季節を歩んだんだな。

 ――ふと思い立った。
 曲を作ってみたい。
 それを演奏したい。

 季節の美しさ、思い出の美しさ、たくさんの気持ちを形に残したくなった。
 鈴川先生やAKIを思い出す。自分の思いを形にする素晴らしさを。まさか自分がこんなことを考えるようになるとは。

 公演が終わって、コンクールのレッスンを終えたら、夜から構想を練ろう。
 そう誓い、池袋のホールの楽屋口へ向かった。日傘を差すのを忘れるほど、私は頭の中を曲の構想でいっぱいにしたが、今日の公演でお客さんを喜ばせるんだろ、と冷静さを取り戻したりと、心が忙しかった。

「おはよう。昨日はありがとうね。今日も公演頑張って。俺は明日オフなんだ。自主トレをした後、チームメイトとアサードをするよ。寒いのに!」
 徹から返信が届く。きっと誕生日を祝ってもらえるんだろう。アサードはアルゼンチンのバーベキューのようなものだ。
 私が徹との日々を曲にしようとしているのを知ったら、何と言うだろう。完成したら一番最初に聴いて欲しい。私が作って、私が演奏するこの曲を。うん、完成するまで黙っていよう。
 徹と離れるわけにはいかない。私たちを繋ぐものを作りたい。そんな焦りもあった。
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