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七十二候

第69章 桃始笑(ももはじめてさく)


 少しずつ気温が上がったり、寒さが戻ったりを繰り返す。もうすぐ春がくる合図でもあった。
 今日は暖かい陽気だ。受賞者演奏会日和だった。
 開場は本選のときと同じ。曲目も本選と同じモーツァルト。そして、もう1曲、前田くんとブラームスを演奏する。
「いい演奏しようね」
 前田くんとリハ室で約束をする。昨年のリサイタルよりも、音楽コンクールよりも成長したと思える演奏をしよう。今日は真っ赤なドレスに身を包んだ。情熱の色。ちょっとだけ強い女になった気がした。

 今日も私は、演奏を聴いてくれる人に喜んでもらえるように、心を込める。コンクールではないので、とてもリラックスして演奏ができた。もしかしたら、このホールで演奏するのは最後かもしれなかったので、このホールの響きをたくさん堪能しようと思った。
 ホールの静寂。期待に満ちた空気を掴む感覚を覚えた。
 あぁ、楽しいな。今日は、自由だ。

 
「今日はコンクールのときみたいなモーツァルトじゃなかったね」
 演奏会の休憩時間に、昨年の音楽コンクールで審査員を務めた先生に話しかけられた。
「はい、ちょっと冷静でした。でも主張するところは、さらに主張してみました」
「うん、立体感があって良かった。心境に変化があったんだね」
「ふふ。そうかもしれません」
 私は自分の演奏に自信を持てた気がした。いつも精一杯心を込めていたけど、今回は少し違った。“これが私だ”と言ってみせた。それは強い意志だった。
「これから、君のような若い世代が日本のクラリネットを世界に広めてくれたら嬉しい」
「はい。私も挑戦したいです!」

 この上ない達成感に包まれていた。心地のよい疲れだった。クラシックの雑誌のインタビューを受け終えて、リハ室で休憩をする。
 いつか、こんな立派なホールで自分だけのリサイタルが出来たらいいな。今年予定しているリサイタルは自治体が保有するホールの小ホールだ。それでも多くの協賛や後援をいただいて成り立つもの。お客さんで満席になるかは未知数だけど、絶対に満席にさせたい。

 そして、週末の吹奏楽の公演が終われば、私もひと段落する。そしたら、いよいよだ。
 徹に想いを伝えるんだ。
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