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七十二候

第58章 雉始雊(きじはじめてなく)


 だけど、ほんの1ミリ、いや、0.5ミリでもそばにいられる方法があるのかもしれないと思うと、別れることは承諾できなかった。

「私、2年間だけだけどフランスへ行ってくる。帰ったら日本でプロになる」
「うん……」
「でも、もしかしたらフランスが肌に合ってそのまま定住するかもしれない。行ってみないと分からない。アルゼンチンにだって演奏の機会はあるのかもしれない。未来のことなんて誰にも分からないでしょ? だから……」
 私は徹に懇願する。
「だから、徹が他に好きな人ができるまでは別れないで欲しい……アルゼンチンの地で徹を献身的に支える素敵な人が現れたら、さすがに敵わないから……うぅ……」
 泣きたくなかったけど、我慢できなかった。困らせたくなかったけど、泣いて困らせてしまった。
 徹は黙って私を優しく抱きしめた。別れようと言っておきながら、なんでそんなに優しくしてくれるのだろう。私も徹の背中に腕を回す。
「そんな人できないと思うけど……。萌こそ、プロになったら見えてくる世界はもっと広くなる。いろんな人と知り合って、きっと萌をそばで支えてくれる人が現れる。俺がアルゼンチンから萌を縛り付けたくはないんだ」
「私こそ、徹を遠くから縛り付けようとしてるんだよ……。別れるのは、嫌だよ。きっともう会えなくなる……」
「萌……。年頃の女の子を飼い殺しみたいにすることはできない。俺、バレーのことばかり考えていて……。でも萌のことを好きでいるのは変わらないし、これからも好きでいる自信はある。だって長年片思いを拗らせてきたんだから、間違いないよ。なのに、自分のやりたいことを優先させて、ごめん……」
「いいんだよ。私だってフランスへ行く。徹が日本にいたとしても、留学を選ぶ。だって、私たちにはやるべきことがあるだもの」
 そんなお互いに惹かれたんだと思う。
「とりあえず、プロになるまでは待って。今度は私が成果を出して答えを見るける番だから」
 その時にまだお互いが必要な存在だったら、この関係は続けるし、そうじゃなかったら、今度こそ別れよう。お互いを縛り付けることはやめよう。
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