第10章 お風呂に入ろう
切り傷だらけの指が食い込む紙は、散々な扱いのせいで幾方向からの皺が刻まれていた。
差し込む光に掲げて透かして、向きを変えては、また唸る仕草も何度目か。
手元に集中し過ぎた結果、おろそかになったつま先が引っかかり、足よりも先走った上半身が向いた先は枯れ木が混ざった藪。伸ばしたその手に新しい傷が増える前、唐突にその動きが止まる。腹に回る逞しい腕が倒れた体を抱き上げた。
「前々からわかってねえとは思っていたけどよ」
頭上から降る低い男の声。夜の山の木々のような湿り気を帯びた気配が背中をくすぐる。
「地図の裏見ても道はわからねえだろが」
「表から見てもわかんないんだもん」
うめが瑞々しい桃色の唇を尖らせた。
「だから儂に貸せって言ってんじゃねえか」
ずっしりと頭にかかる重みを逃そうとうめは体を捩るが、男は音だけカラカラと笑い飛ばした。
男が近付いたことで芳醇な香りが強くなる。思わず鼻をつまみ苦虫を潰したような顔になるうめ。
「やだよ。十蔵めちゃくちゃ臭いもん」
十蔵-真田幸村に仕える十勇士のひとり筧十蔵。騎馬を主体とする武田の中では珍しく火縄銃を得意とする。忍隊でもっとも年長である男は、長いうねりのある黒髪をわざとうめに被せながらいやらしく笑う。
「うめちゃんに任せといたらいつまで経っても帰れねえよ。後言っとくけど、お前さんだって同じ匂いしてるからな。昨日はふたりで盛り上がったからなあ」
「言い方!! うめは臭くないし」
「照れるなって、だーいぶ匂うぜ。はぁ~、吟醸の甘ったるい香りだ」
十蔵はうめの首の後ろに顔をうずめ、わざとくすぐるように嗅いでみせる。
そのがっしりとした太い腕に捕らわれたままバタバタと両手足で抵抗をみせる小娘の反応を面白がるようにらさらに強く抑え込む。
「嗅ぐな! 離れろ! オジサンの臭いがうつるー!」
「おお、いいねえ! このまま匂いが移ることしようぜぇ」
十蔵が捕まえた手首を味わうように舌を這わせると、生暖かい感触に表情を固めたうめがびくりと跳ねた。
それに気をよくしたのか鼻で歌いながら、うめの柔らかい頬の感触を楽しむ。無精ひげのざりざりとした攻撃に爪を立てて仕返しするが、それすらも男は喜んでみせるだけだった。