第1章 独眼竜なんて怖くない
「聞いておるのか! 佐助! 戻れ!」
「……もういいよ。十分に離れたから」
その言葉を合図にしたかのように腕の中の主が林の如く山の如し。
あまりの静かさにどうしたものかと佐助が視線だけでその姿を追うと、色素の薄い瞳に映る己とかち合った。
戦場から離れるととたんに年相応の幼さをみせる主は、パチパチとその瞳を瞬かせ、ためらうかのような上目遣いに佐助を見上げていた。
「本当に?」
「嘘ついてどうするのさ」
ため息をつき呆れた様子をみせる佐助であったが、突然の重圧にその目を見開いた。佐助のその首めがけ幸村ががばりとしがみついたからだ。
「……ひっく」
鎖骨のあたりに顔をうずめたまま、しゃくりあげる主。
その子供染みた行いに先ほどの怒りは鳴りを潜め、佐助は目尻を下げ口元を緩ませた。心なしかいつもよりも一回り小さく見える背をあやすように撫でてやる。
「はいはい、よく頑張ったな」
「ふびぇーーん! どくがんりゅーごわがっだでござるぅぅぅううう!!!」
堰を切ったように幸村が声を上げる。
子供が癇癪を起したかのような泣き方に佐助は顔を歪ませ、わざとらしく片耳に指を突っ込む。
「もぉー! 旦那の姿で情けない声上げるなよ!」
「だっだら、もっど早ぐ迎えにぎて……ひっく!」
従者の心内を知らず勝手なことを漏らす主に、潜めたはずの怒りが再び顔を出す。
「元はと言えば、お前が戦が始まるなり先陣切るわ、無茶苦茶に敵に突っ込むやらするからだろうが」
「だってだって、幸村さまなら絶対に一番槍だもん。目の前にいる敵を蹴散らしてこそだもん。」
「あー、まあそうかもね。じゃあさ、なんで俺様の静止を聞かずにはぐれたわけ? 旦那だってね、”たまには”言うことを聞くよ」
語気を強め”たまには”を殊更強調し、じろりと強い視線を浴びせる。
答えはすぐには返ってこなかった。
しびれを切らした佐助が急かすように後ろ髪を引いても頑として顔を上げない。
それならばと何度か緩急つけてひっぱると、諦めたようにその顔が上がる。