第2章 【呪術】思い出は薄氷の上に
考えるより先に手が伸びて、奈緒は夏油の袈裟を掴んでいた。
少し驚いた顔をして振り返った夏油は、その奈緒の表情に一瞬目を見開いた。
「……行かないで…夏油さん…」
そう涙声で呟く奈緒に、夏油はゆっくりと目を伏せた。
何故だか、夏油さんの離れていく後姿を見たら引き留めたくなった。
そして振り返ってくれた彼を見て、私は不安な気持ちが和らいで涙が出そうになった。
それがどんな気持ちなのか分からないけど、記憶を失う前の私は夏油さんが好きだったのだと分かった。
その【好き】がどんな意味の【好き】かなんて想像も出来ないけど、確かにそう思った。
何故今こんなにも不安で切なくなるのか分からなくて、奈緒は夏油の袈裟を放せないでいた。
・
・
・
呪術界を離反した時、夏油は奈緒には別れを告げなかった。
奈緒だけでなく七海にも。
その時は何も思わなかったのに、夏油は今の奈緒の顔を見て、きっと自分が離反したと聞いた時、奈緒は今と同じ表情をしたのでは無いかと思った。
そんな風に思ってしまったからかも知れないが、別れを告げる事も連れて行く事も選ばなかったかつての後輩に、夏油は少しだけ痛みが胸を掠った。
夏油がゆっくりとベッドに腰掛けると、奈緒はやっと袈裟を放した。
夏油と目が合うと、奈緒はまた顔を赤らめてパッと目を逸らした。
咄嗟に取った自分の行動が恥ずかしかった様だ。
しかし、見れば見るほど昔の奈緒の面影が無いと分かる。
顔は久織奈緒なのに、その挙動はまるで別人だ。
夏油が知っている奈緒は、行かないで欲しかったらそうハッキリと言うだろう。
そしてこんな風に目が合っただけで恐縮する様な性格では無い。
いつもハッキリと相手の目を見て物を言う様な子だ。
記憶喪失の不安がそうさせているのか?
ならせめて……ここに居る間だけでも、彼女にとって安堵出来る時間を過ごさせてあげよう。
戸惑うくらい変わった奈緒を見て、夏油はそんな事を思った。