第1章 【鬼滅】霞屋敷のふろふき大根には柚子の皮が乗っている
十二月中旬、季節は冬。
霞屋敷に植えてある桜の木は樹葉が全て落ち、枝が剥き出しになった。
奈緒は両手に息を吹きかけ、掌を擦り合わせる。
まだ雪が降るような気温ではないが、太陽が昇るまでの早朝は身震いする程の寒さだ。
『今日も頑張ろう』
身支度を済ませた彼女は、朝食作りに取り掛かり始めた。
「いってらっしゃい、無一郎さん。気をつけて」
「今日は恵比寿と円山町の見回りだけだから、遅くはならないと思う」
「数年前まで更地が多かったのに、今は花街と言って良いぐらい栄えて来てるんだっけ?」
「僕、人が多い場所は嫌いなんだよね」
円山町とは、昭和七年に制定される【渋谷区】内の町の一つだ。
午前十時。
ぶつぶつ呟きながら、玄関の上り框(あがりかまち)に座って草履を履く無一郎。
スッと立ち上がると、奈緒から受け取った日輪刀を左腰に指した。
直後、カチッカチッと小気味良い音が響く。
二人の心の距離が近づいてからと言う物、こうして出立前に会話をする機会が増えた。
火打石もようやく出番が来た、と言うわけである。
「いってきます」
無一郎は奈緒としっかり視線を合わせて挨拶をすると、静かに玄関扉を開けて出て行った。
『今日も無事に帰って来ますように…』
目を閉じて両手を合わせている彼女は神頼みをする時のように真剣だ。パッと両の瞳を開けると、奈緒はこれからの予定を脳内で確認しながら、自室へ向かう。
★
「もう売り切れなんですか?? まだ冬至まで三日あるのに?」
「ごめんなあ、この時期は朝一番に来てくれないと一時間もしない内に無くなっちまうんだよ」
一時間後の午前十一時。
奈緒は行きつけの八百屋に来ていた。しかし、彼女の目当ての物は既にない。
店先に並んでいる複数の竹籠の内、一つだけが空になっていた。
「円山町なら最近人が増えて来てるから、仕入れもたくさんしてるんじゃないか? 」
「わかりました、ありがとうございます…!」
「この時期は日が暮れるの早いから気をつけてなー…って、もういねぇ」
店主が隣に置いてある蜜柑を並べ直している間に、奈緒は素早く立ち去った。
驚きで瞬きを繰り返す店主の足元には【柚子・売り切れ】と先程自分が書いた紙が、落ちていた。