第4章 二人だけの時間
しばらく撫でた後、相澤の手は結の右手に触れる。
包帯で覆われた細い指はまだうっすらと湿っていて、触れた相澤の指先にも冷たさが伝わってきた。
無言のまま、二人の間に流れる空気だけが時を刻んでいた。
「まだ痛いか?」
「ううん、大丈夫。あとで包帯外さなきゃ」
「次から気をつけろ。危なっかしいからな、お前は……」
そこで言葉を切ると、相澤は机に広げた書類に視線を戻し、一枚を手に取った。
無言で目を走らせながら、もうこの話は終わりだというように「先、風呂入っていいぞ」と淡々と告げる。
その声に咎める棘はなかった。
結はすぐには動かず、足元に視線を落としたままぽつりと声を落とす。
「ねえ、消太さん」
「どうした?」
相澤は手を止め、顔を上げる。
目が合った瞬間、彼の表情がわずかに和らいだ。
言葉にされなくても、結が何を求めるのかはもう分かっていた。
それは、何度も繰り返されてきたやり取りだった。
「今日も隣で寝ていい?」
「……いちいち聞かなくていいって言ってるだろ」
「うん。いつも言われてる」
相澤は小さく息を吐き、書類に視線を戻す。
「早く風呂入れ」と、吐き出した声には呆れよりも穏やかさが浮かんでいる。
突き放すでもなく、甘やかすでもなく、程よい距離を保っていた。
合理性を好む彼の性格からすれば、ほぼ毎晩繰り返されるこの確認は無意味にも思えるはずだった。
だが、相澤は結の問いを否定したことはなかった。
必要以上に理由を聞くこともなく、結もまた自分から語ろうとはしない。
「やっぱり、消太さんは優しいね」
結はゆっくりと立ち上がると、くるりと振り返り、笑みを浮かべる。
ふわりと柔らかな表情には、言葉より深く染み込んだ安心と小さな幸福がにじんでいた。