第10章 気になるあの子
「昼に警報鳴った日あっただろ。あの時、腕掴んだのは俺だ」
「警報……あ、廊下で」
「押し流されそうだったから引っ張ったんだ。悪かった、痛かったよな」
胸の奥に置き去りになっていた記憶が、ようやく形を持って蘇る。
轟の声は真っ直ぐで、結を気遣う温度がこもっていた。
「ずっと謝りたかったんだ。腕、怪我しなかったか?」
「大丈夫だよ。ありがとう、心配してくれて」
結が答えると、轟の眉がわずかに緩んだ。
笑みは柔らかく、張り詰めていた結の緊張も自然とほどけていく。
廊下の喧騒もいつの間にか遠のき、残っている生徒もまばらになり始めた。
「そろそろ帰りてぇな」
「もう少し、人が減ってくれたらいいんだけど」
「これ減るまで結構かかるぞ」
轟は何気なく椅子を机に戻し、無言で片手を差し出した。
しかし、手のひらは握手を求める形でもなく、結は戸惑いながら見つめた。
「えっと、何……?」
「帰るんだろ」
「帰りたいけど……こ、この手は?」
「ああ、こっちの方がいいか」
次に差し出されたのは、轟の背に掛けていたリュックサックだった。
結は促されるまま、揺れた端をそっとつまむ。
たったそれだけで足元が安定し、彼が支えてくれているような安心感が生まれた。
轟は迷いのない歩みで人の波を割っていく。
結はその背に続き、押されることも流されることもなく教室を後にした。
背中を追いながら、かつて感じた気まずさも固さも、もう遠いもののように思えた。