第1章 新しい日常
真新しい制服の袖に腕を通し、鏡の前で赤いネクタイをむすぶ。
室内には朝を彩る音楽と、明るい声の星座占いが流れているが、その朗らかさはほとんど耳に届かない。
充電器から携帯端末を抜き取ると、テレビの「今日の運勢」は画面から消え、部屋には静けさが戻った。
黒いリュックを肩にかけると、自然と背筋が伸びた。
少し窮屈な靴を履いて玄関の扉を開けると、朝の風がすっと入り込み、澄んだ空気が肺の奥まで流れ込む。
仕事で早く出ていく同居人の姿は今朝もやはりない。
玄関にほのかに残る気配だけが存在を思わせ、胸の奥にわずかな寂しさが灯る。
そんな感情をそっと置いて、結は階段を軽やかに降りていった。
駐輪場の端では、朝日を浴びた黒い野良猫がゆっくり伸びをしていた。
その姿に張り詰めていた心が少し緩んだ。
ポケットから携帯端末を取り出すと、画面にはまだ十分に余裕を持って登校できる時刻が表示されていた。
不慣れな道でも時間のゆとりがあるだけで足取りは軽くなる。
端末をポケットにしまい、人気のない住宅街を歩き出す。
生活音が満ちる前の街には、静寂という名の優しさが漂っていた。
車通りの多い道に出ると、広大な敷地に佇む校舎が遠くに見えた。
空を背負うようにそびえ立つ姿は何度見ても息を呑む。
国立雄英高等学校。
夢を形にする場所。
数々のプロヒーローを輩出してきた、名実ともに最高峰の学び舎だ。
フレイムヒーロー・エンデヴァー、平和の象徴・オールマイト。
名を聞くだけで胸が熱くなるヒーローたちも、この場所から羽ばたいていった。
目指す背中はあまりに遠い。
それでも、同じ校舎で日々を積み重ねられるという事実が、胸の奥に確かな火種を灯していた。
簡単ではない道のりの先には厳しい試練が待ち、人命を守るためには迷いも妥協も許されない。
心が折れそうになることもきっとある。
だが、前に進む覚悟はもう決めていた。