第1章 新しい日常
真新しい制服の袖に腕を通し、鏡の前で赤いネクタイをむすぶ。
肌に触れる布はまだ固く、ぎこちない手先には不安が滲んでいた。
部屋には朝を彩る音楽と、明るい声で読み上げられる星座占いが流れている。
その朗らかさが耳に届くことはなく、ただ淡々と充電器から携帯端末を抜き取る。
テレビの画面には「今日の運勢」が踊っていたが、それもすぐに消え、静けさに溶けていった。
黒いリュックを肩にかけると、背中に一本芯が通ったように自然と背筋が伸びた。
窮屈な靴を履き、玄関の扉を開く。
そこからすっと入り込んだ朝の風が、肺の奥まで澄んだ空気を流し込んだ。
仕事上、早く出かけてしまう同居人の姿は今朝も見当たらない。
玄関に残るわずかな気配だけがそこにいた証のようで、胸の奥に小さな寂しさが湧く。
そんな感情を置いて、結はアパートの階段を軽やかに降りていった。
駐輪場の端では、柔らかな陽の光を浴びながら、黒い野良猫がのびをしていた。
その姿は緊張で張り詰めていた心を少しだけ緩めてくれる。
結は小さく息を吐いて、ポケットから携帯端末を取り出す。
画面には、余裕を持って登校できる時刻が表示されていた。
不慣れな道でも、時間のゆとりがあるだけで足取りは軽くなった。
端末を制服のポケットにしまうと、人気のない住宅街を歩き出す。
まだ人の生活音が満ちる前の街には、静寂という名の優しさが漂っていた。