第2章 安堵の時
安堵の時(狗巻棘)
すっかり遅くなってしまった夕飯の片付けをしている途中、凪を呼ぶか細い声に振り返る。眠そうに両目を擦る霧だ。
早寝早起きの霧が、この時間に起きていることは珍しい。原因は自分たちかと思い当たって、様子を見る。
「だめ。髪、乾かしてあげる。風邪引くよ」
凪の言葉から一呼吸置いて、イイコトを思いついたと、棘はふたりを追った。感謝と、お礼と、ほんの少しの下心を自覚する。洗面台の前で膝を抱えて座る彼女は、もうほとんど夢の中だ。
棚からドライヤーを出していた凪は、棘に気付いて驚いたように目を開く。一瞬の逡巡の後に、不服そうな表情でドライヤーを手渡してくれる察しの良さに、棘は笑った。
霧の、濡れた髪に、そっと触れる。
柔らかな髪を指先に絡めて、梳かした。たったそれだけで、なんだか悪いことをしているような気がする。ドライヤーの音にも動じず、彼女の頭は棘の手で触れた分だけ、うつらうつらと揺れていた。
濡れた髪が乾くに従って、霧の体温を感じる。指先が感じる温度と、鼻を掠める香りに、満足を覚えた。一日の終わりの、ご褒美だ。
傾いた頭を支えて、真っ直ぐに戻していると、「え?」という声と共に、鏡の中の彼女と目が合った。寝ててもいいと思っていたが、鏡を疑って振り向く姿も、悪くない。
「な、ん、で…」
「ツナツナ」
本来なら相容れないはずの驚きと眠気が、霧の中で合体して、思考停止に落ち着いたようだ。瞬きを3回繰り返してから、瞼の重みに負けてしまった。「つなつな」と言いながら夢の中に戻っていく彼女を、棘は心ゆくまで眺めていた。