第16章 Matthew10:34
ギリっと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。
顔を背けたままの智はなにも言わなかったけど、言いたいことは伝わってくるようだった。
「どうして智や智のご家族がこんな目に遭わなければいけなかったのか、知りたくないの?」
このゆりかごみたいな部屋から出ていくのは、勇気の要ることだと思う。
「…知りたい…」
でも、智には生きていかなきゃいけない。
ひとりでも。
俺がいなくても。
「うん…」
智、生きて…
俺はこの世界のどこかで、あなたを想っているよ。
例えあなたと一緒に居ることができなくても、それでも俺たちは世界で一番近いところにいる。
「ふたりで…ひとり、でしょ?」
そう言うと、智が顔をこちらに向けた。
「ふたりで、ひとり…」
「そうだよ…いつでも、どこにいたって…」
そう伝えると、赤い目をしながら少しだけ微笑んだ。
「全部終わったら、海外に行こうよ」
「……え?」
「俺がアフリカ大陸の医者のいない村や町に行くから、智はその助手としてついてきてよ」
「俺…日本語以外できないぞ…」
「だから次に会うときまでに、英語は身につけておいてね」
そう言うと、智の目が俺をまっすぐに見た。