第16章 Matthew10:34
せっかく時間薬が効いて凪いでいた智の心を、無理やりあのときに引き戻してしまったのかもしれない。
地獄のような、あの瞬間に。
過呼吸になって倒れてしまうほど、智の混乱は続いた。
でも…
ご家族を殺したのが自分じゃないって、やっと智は認識することができた。
ご家族を手に掛けた犯人が別にいるってことも…
智が今まで踏み出すことができなかった、心の傷の原因を正面から見据えることができたんじゃないかと思う。
けど…
さっき智は「殺してくれ」と言った。
俺は間違っていたのかもしれない──
それが智のためだと思った。
陽の当たる道に戻れなくても。
それでも智が智に戻るために。
人間らしく生きられるように。
例え俺が傍にいなくても…
ゆっくりとした自殺みたいに自分を責め苛むのをやめてほしかった。
「ごめんね……」
きっと西島医師なら、智の混乱した心を鎮めてくれる。
あんなことがなければ、うちの病院に来て欲しいくらいだったと父親たちが話していたのを思い出した。
「ごめん…智…」
温かい頬を手で包みながら、謝ることしかできなかった。
「翔……?」
どれだけそうしていただろう。
外はもう真っ暗になっていた。
泣き疲れて眠ることもできずベッドに突っ伏していたら智の意識が戻った。
掠れた寝起きの声は、いつもと同じ智の声。
「智…」
俺の声も掠れていた。