第16章 Matthew10:34
玄関ドアの鍵を締めてアームロックまで掛けてしまうと、足の力がまた抜けて三和土に座り込んでしまった。
喉の奥に熱い塊がある。
その塊は息を詰まらせる。
苦しい。
「う……」
泣くな。
今は泣くときじゃない。
泣いてる時間なんてないんだ。
歯を食いしばってドアノブに手を掛けて立ち上がった。
深呼吸を何度かすると、また腿を殴って歩き出した。
智の眠る寝室への距離が、永遠に縮まらないかと思うほど遠かった。
息を切らせてなんとかたどり着いた寝室で、ベッドに近づこうとして転んでしまった。
そのまま床を這いずって、なんとかベッドにたどり着いた。
無心に眠る智の顔を眺める。
一瞬でも、一秒でも。
智の姿を目に焼き付けたい。
「智……」
よく見ると、さっきの苦悶の跡が少し残っている。
頬に触れると、温かい。
智の体温や息を吐き出す音が、智という存在を俺に刻んでいく。
「さと…し…」
泣かないと決めたのに。
ただそこにある命の前で、あまりにも俺は無力で。
初めてこの手で救いたいと思った人を、俺は明日手放さなければならない。
いや、救うなんて傲慢だったんだ。
今の俺じゃなにも智にしてあげることができない。
よっぽど雅紀さんのほうが、智のために行動してる。
俺がやったことと言えば、この家で傷を抉ることだけだったかもしれない。
それが……
智の中に、大きな混乱を引き起こした。