第16章 Matthew10:34
その瞬間だけ、雅紀さんの顔に影ができたように感じた。
「安心しろよ。元気になったらまた智のほうから会いに来るだろうから」
「嘘だ…」
智は、来ない。
多分一度出てしまったら、もう二度とここには来ない。
「嘘じゃねえよ。俺はそこまで厳しかねえよ」
違う。
そうじゃない。
だけどそれを言葉にすることはできなかった。
そう言ったら、たちまちこの人は俺のこと殺すだろう。
「やめて…連れて行かないで…」
「あんた、智が治らなくてもいいの?」
「…そんなわけないっ…だから治療は俺がっ…」
「まだ医者にもなってないくせに?」
ぐさり、心臓に突き刺さった。
「あと何年残ってんだよ。国家試験に受かったってすぐ医者ってわけじゃないんだろ?」
「そうだよ…そうだけどでも!」
「智のことが好きなんだったら、今は手を離せ」
ぐっと床に突き刺さったナイフを引き抜いた。
「すまねえな。床の傷はこれで直してくれ」
また懐に手を入れて、今度は分厚い封筒を出した。
「…いらないよ」
「まあ、桜井病院の跡継ぎのアンタにゃ端金かもしれないけどな」
200万は入っているであろうそれを、床の上に置いた。
「これは口止め料だ」