第16章 Matthew10:34
コーヒーの香りが漂ってくる頃になって、足に震えが来た。
それが恐怖によるものなのか。
それとも帰ってからずっと、智に責め立てられたからなのか。
よくわからなかった。
震える腿を、拳で打ち付けてなんとか歩いた。
マグカップを用意して、できあがったコーヒーを注ぐ頃には疲労困憊していた。
「なんでこんなときに…」
身体の自由が利かないときに、こんなことが起こるなんて。
ふとみると、まだベランダへの出入り口の窓が開いていた。
閉めなきゃいけないのに、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けたきり動けそうもなかった。
風でレースカーテンがひらひらと舞っている。
もう夜の帳が下りて、外は暗い。
だがここは東京のど真ん中だ。
遮光カーテンでも引かない限り、真っ暗になるようなことはない。
「…誰が来たんだろ…」
あんなに智を動揺させることができる人って誰なんだろ。
俺は智のこと知ってるようで何にも知らない。
「知ってるのは、過去のことばっかり…」
やっぱり、ご家族の幽霊でも見えたのかな。
だから殺してくれ、なんて…
じっとレースカーテンを見ていると、潤の探してくれた雑誌のコピーでみた智のご家族の顔が浮かんだ。
「うわっ…」
一瞬揺れたレースカーテンが、誰かの足に見えた。
「ちょっと、もお…」
良く見たらカーテンが揺れているだけなのに。
動揺してる自分がおかしくなってきた。
「馬鹿じゃね…俺…」
そう呟いたとき、カーテンが大きく揺れた。