第1章 初めての夏
夏が終わりかけているにも関わらず、酷く暑い日だった。ジリジリと照りつける陽の光と蝉の声に、滴る汗が止まることはなかった。
「雅」
畳の上で呪具を整理する雅に呼びかけると、彼女は小首を傾げて悟を見上げた。しかしそれも束の間、雅の視線は悟の足元へ滑り落ちる。小さな子どもが、悟の足にしがみついていたからだ。
「預かることになったから、よろしくね」
雅は悟の足に隠れようとする子どもに向き直り、覗き込む。
「お名前は?」
初対面にしては至極真っ当な質問だが、その子は俯いた。彼の、菖蒲色の瞳が揺れる。
「狗巻棘。雅と一緒に、訓練するから」
茹だる暑さにも関わらず、微かに震える子どもに代わって、悟は答える。いぬまきとげ、と雅は唱えた。棘の返事がない事を気にする様子もなく、彼女はにっこりと微笑む。
「よろしくね」
口を真一文字に結び、棘はぎゅっと音がしそうな程に、目を瞑った。
言葉は、呪いだ。
「大丈夫」
雅は耳の辺りでふわふわと両手を動かす。狗巻家の呪言について教えた成果はあったようだ。悟が教えた通りに、耳から脳まで、上手く呪力で守られている。
「悟兄さんも、大丈夫だったでしょ?」
指をさされた悟が、「僕は最強だからね」と宣った高言は、軽く流された。最も、流されたとて堪える性質でもない。
伺うように薄らと目蓋が開き、菖蒲色の視線は悟と雅の間を右往左往する。それに合わせて、雅の指先もふたりを順に指し示す。
「悟、雅」
覚えたと言うように、彼はこくりと頷いた。雅の口が再び「よろしくね」と言葉を紡いだ時、「ん」という小さな返事があった所為で、悟は思わず彼の頭を撫でた。