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蜩(ヒグラシ)の宿─にの江大江戸人情帳─

第1章 純情恋物語編






にの江「もう、昔の事さ……あたしの実家も、もう無い事だしねぇ」



(…何しろ、そのお陰で………あたしの家は、取り潰しになったんだからね…)





その縁談があたしの元に舞い込んで来たのは

あたしがまだ、今のお智ちゃんと同じ年の頃だった



その当時

あたしは父上を亡くしたばかりで


一人娘のあたしが、婿をとらなければ家が断絶になってしまうって言うのに

あたしは、潤之助さんへの決して実ることの無い恋に焦がれて

どうしても婿を取る事が出来ないで居た




若様の実母である正室の方は、宮家と縁のある姫君だった

それ故

身分で言ったら格上の家から嫁いできた奥方に、殿は頭が上がらなかった



そんな、若君の生母で気位ばかり高い御正室様側と

宮家縁の奥方に頭の上がらない殿との間で

家臣の親派が別れてしまったのは、ある意味自然な成り行きだったかも知れない



あたしの家は元々、宮家に近しい家柄だった為、正室の方派に

潤之助さんの家は、古くからの家臣だった為、お殿様派に属していた



その

相対する二つの家の跡取りであったあたしと潤之助さんは、どうあっても結ばれる事が叶わない相手だったのだが

お互いにソレと知りながら、あたしと潤之助さんは恋に落ちてしまった



互いに想い合っているのが解っていても、決して想いを口にすることが出来ない恋


そんな折に、父が病に倒れて急死してしまい

あたしは急ぎ婿を迎えねばならなくなってしまった



だけど、年若かったあたしは

潤之助さんへの恋心を引きずったまま、婿を迎える事がどうしても出来ず


そうこうしている内に、若様が側室にとご所望されていると言う話が舞い込んで来た



もしも、あたしが若様の側室になるのなら

適当な者をあたしの養子にして、そのまま家を継がせるように計らうと言うのだ



でも

あたしは、どうしても若様の側室になんぞなりたくはなかった

生涯この人だけをと密かに心に決めた人の傍で、その主人たる若様の側室になんか

なれる訳がなかった




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