第6章 子守唄
しんしんと降り積もった雪の中、一本の川が静かに流れる。美しい白銀の世界はどこまでも広がっており、唯一色彩を放つものは川に流されている傷だらけの女人。粗末ながらも上品な赤い着物を着た彼女は、身を投げた水に浮きながら己の全てをゆらりゆらりと揺蕩う川の流れに任せていた。
先ほどまでは寒さで身を震わせていたが、凍てつくような水が命を削り尽くすかのように体の感覚を失わせていた。意識と体が切り離され、今はもう何も感じない。もはや死ぬのも時間の問題なのだろう。虚ろな目でどこまでも続く灰色の空を見つめた。
いったい、どこをどう間違えてしまったのだろうか。
意識も朦朧としている中、女は過去を振り返る。数ヶ月前に吉原が炎上した際、確かに彼女はある男に命を救われた。強くて優しく、不器用ながらもどこまでも懐の深いその男。居場所を無くした女に衣食住を約束し、今まで触れる事すらなかった堅気の世界を見せてくれた。体を売っていた頃とは違い、「生きている」事が実感できる日々を過ごしていたはずだ。
初めての羽毛布団。初めての手作り料理。初めての夏祭り。初めての甘味。初めての恋。
幸せだった。
それが突然どうしたものか。数週間前から男は変わった。手を伸ばせば優しく握り返す事もなくなり、逆に叩き落とされる。声をかければ柔らかい返事はなく、代わりに罵声を永遠と投げかかられる。夜も添い寝をしてくれなくなり、股を開く事を強要された。何がいけなかったのだろうか。いったい、なにが……。
『汚ねー手で俺に触んじゃねぇ。』
『うっせぇんだよ、ブスが。穀潰しの分際で俺に口きくんじゃねぇ。』
『誰がオメーをあの火事から助けたと思ってんだ? 黙ってケツ出せや。』
優しく幸せだった記憶は遠く、脳裏に再生されるのは心ない男の言葉。火の手から救ってくれた男は、まるで別人へと変貌しており、ここ数日は言葉と共に絶え間なく与えられた暴力で、心も体も弱っていた。無情な世界に絶望して川に身を投げたが、やはり何よりも心を抉るのは裏切られた事実だ。遅くなる心音が、まるで女の無念を表すかのように響く。
信用していたというのに。愛していたのに。初めてこの身を捧げても良いと思えた人だったのに。うらめしや、うらめしや、うらめしや、うらめし……。
憎しみのこもった鼓動を最後に、女は息を引き取った。