第1章 微笑―月下の君―
甚爾の目の前に飛び出してきた少女は毛を逆立てて威嚇する猫のようだった。
さすがに人がいるとは思ってなかったらしく、顔には焦りが出ている。
その口から衝撃の名が発せられたのは、甚爾が後々の面倒事を厭って殺してしまおうと考えた矢先だった。
「いい加減、悟本人を狙いなさいよね!!」
“悟”というのは呪術界では知らぬ者はいない術師の名。
ただ珍しい名前でもないので人違いの可能性もなくはない。
知らない風を装って尋ねてみる。
「違ぇけど……悟って誰だよ?」
「五条悟よ!知らないの!?」
案の定だ。
コイツ、五条悟の血縁か。
そうなると殺した方が面倒になるじゃねぇか。
呪術師を殺す時は死後呪霊に転じないように呪力で殺す必要がある。
甚爾にはその呪力がないため必然的に呪具を使うことになるが、呪具を使えばその残穢が残ってしまうのだ。
たとえただのナイフや銃器で殺したとしても、死後呪霊になればやはり呪具を使わなければならない。
そして残穢が残れば、五条家がしつこく探してくるだろう。
しばらく仕事に支障が出かねない。
……いや待てよ、逆に考えればこれは金になるかもしれねぇな。
かしましく噛みついてくる少女を適当にあしらいながら、そんなことを思いつく。
そうと決まれば孔に連絡をつけなければ。
と考えていたら、少女が館の主人に強烈な回し蹴りを食らわせていた。
細い手足からは想像もつかない見事な蹴りに甚爾は少し目を見張る。
「なかなか良い蹴りすんじゃねぇか」