第26章 恋心
私は自宅へ戻り、夕食の支度を始めた。木ノ葉病院に出向いた母も、もうすぐ帰宅するはずだ。
(テンゾウさんは、何を隠しているんだろう)
お米を研ぎながら、ぼんやりと考える。
アカデミーのこと以外で、目下気になることはそのことだった。
(もう少し待ってほしい…って)
一人考えると、つまらない想像ばかりが浮かんでくる。
実はもう結婚してるとか、恋人がいるとか。
だから、もう会えないなんて言われるんだろうか…。
それとも、それでもいいですか?なんて選択を迫られたり…。
これまでの振る舞いから、そんな不実な人ではないと思っているけれど。
ご飯を炊く準備を整えて、一度手拭いで手を拭いてみて気づく。そういうたくましい想像力を、授業を進めるアイディアに向けられたらいいのにと、私は思わず乾いた笑いを零した。
テンゾウさんと別れてから、私は商店街を歩いて帰ってきた。魚屋に寄って干物を買ってきたから、それを主菜にする。副菜に里芋を煮て、お味噌汁を作った。後は母の帰りを待つばかり。
静かな台所で、私は熱いお茶を飲んだ。
台所にある円卓には、椅子が三脚添えてある。父と母と私がかつては座っていた。
円卓の中央には花が一輪。
今は紫陽花(あじさい)の花を飾っている。
少し前から、私は時々自宅に花を持ち帰っていた。それを、母が珍しいものを見るような目で見てくる。どんな心境の変化なの?と言っては、それとなく理由を聞き出そうとしているのを感じていた。
私は自分の手を見つめた。
まだ彼の手のぬくもりを思い出せる。きっと子供の頃だったら、手を洗わないなんて決めたりしたかもしれないと笑ってみたり。
テンゾウさんのことを少しずつ知っている。
切れそうでいて、この縁はまだ切れていない。
理由は分からないけど、彼は私に会おうとしてくれている。それを好意ととらえていいのだろうか。そんな風に思う。
彼とはただの知り合いで、親しい友人でも恋人でもない。
それでも彼のことを一つ知る度に、一喜一憂している自分がいる。時には、もっともっと知りたい欲が生まれたり、独り占めしたいような気持ちになったりもする。
こうして一人でいると、想像は際限なく膨らんで、気持ちは浮いたり沈んだりとせわしない。今の心模様は薄曇りで、彼と初めてデートした日と同じだった。