第36章 白い夢 第一夜 【帰蝶】
《 第一夜 》
異国の商船が何隻も停泊している港
たくさんの人々で賑わい、一風変わった洋服姿の外国人も多く往来していて、華やかな雰囲気が漂っている。
そんな中、海を臨んで一人ぽつんと座りこむ名無し。
彼女の周りだけ、時間が停まっているようだった。
やがて太陽が高度を下げ、海面から吹いてくる風が強くなり、体が冷えてきた頃に、ようやく名無しは我に返る。
(もう夕方!どうしよう、何もできてない)
信長の温情で与えられた、せっかくの自由な5日間。
まずは海が見たくて朝から港に来たが、眺めていると様々な記憶が蘇ってくる。
それに伴って普段は抑え込んでいた思いが溢れ出て、時間が経つのも忘れて思案にくれてしまった。
貴重な時間を無駄にしたと一気に焦る。
とはいえ、一体どうしたらいいのだろう。
経験を済ませるという非常に困難な目的があるのに、その相手にどう接触していいのかわからない。
とりあえず立ち上がると、何時間も同じ姿勢で座っていたことで足に力が入らず、強風にあおられてフラリとよろめいた。
その瞬間――――
両脇から伸びてきた腕が腰に回り、後方へ引き寄せられる。
そして、固い筋肉のある胸に背中から受け止められた。
(あ……)
この感覚には覚えがある。
ざあっと後ろから強い風が吹き抜けると、名無しの視界の端で白い外套の布がひらりと舞った。
「大丈夫か?」
(また助けてくれた…)
耳元で問う落ち着いた低い声に、名無しの心臓は急激に騒ぎ出す。
「今度は、飛びこもうとしたのでは無さそうだな」
「帰蝶さん…」
帰蝶は名無しを背中から支えたまま少し歩かせると、側にあった頑丈な木箱に座らせた。
「体調が悪いのか?」
「いえ…」
かがみ込んで目線を合わせる帰蝶の顔を、名無しは恥ずかしくてまともに見ることができない。
目の前にいるのは、探していたその人
何年も想いを寄せ、初めて身体を合わせるのは彼がいいと、心に決めた人…
「従者は?また一人で城を出て来たのか?」
「はい…」
名無しは頷いてから顔を上げた。