第28章 五色の夜 春日山城編3 【謙信】
思わず見とれていた私に、
「お前も飲むか?」
謙信さまは声をかけてくれた。
断るのも失礼なのかな。
「はい。では一杯だけ」
もう1つ用意されていたおちょこに、謙信さま自ら注いでくれる。
ああ、これも何て贅沢な経験なんだろう、軍神さまとお酒を飲むなんて。
喉を落ちていった香り高い日本酒は、体を内側からじんわりと温めてくれた。
「…もう休め」
謙信さまは窓の外に顔を向けたまま言った。
「はい。それではお先に休ませていただきます」
床に手をついて頭を下げてから、私は衝立てのむこうに敷かれた布団に入る。
ふかふかな綿とパリッと糊のきいた敷布の感触が心地よくって、目を閉じるとすぐに思考が溶けていきそう…。
幸せを感じた私は少し迷ったけど体を起こし、衝立てから顔を出して謙信さまに声をかけた。
「本当にありがとうございました。おかげでこうして無事に布団で休めて幸せだなあって、しみじみと思いました」
謙信さまは窓辺から私へと視線を移した。
次の瞬間、形の良い唇に緩やかな弧がひかれる。
もしかして、微笑んでくださった?
「早く休め」
くいっと酒をあおってから、すぐに謙信さまは窓の外に向きなおる。
「はい、おやすみなさい」
絵画のような夜の光景を忘れぬように目に焼きつけてから、私は布団に戻った。
あんなにも恐れ多い存在だったのに、今は衝立ての向こうに謙信さまがいてくれるのがたまらなく心強い。
謙信さまと過ごす夜は、守られ、安心に包まれ、生きている幸せを心の底から感じる時間だった。
謙信さまは女嫌いのはずなのに、女性への気遣いがすごくあるのはなぜ?
手を引かれて歩いたときに感じた疑問が再び浮かぶ。
きっと、深く心を通わせ合う女性がいて、謙信さまは彼女を優しく気遣っていたんだろうな。
二人の時間は素敵なものだったはず。
だけど、女性を遠ざける今の謙信さまの状況。
彼女との関係は、幸せな結末にならなかったのかな…そう思ったらきゅっと胸が痛くなった。
想像上の女性と謙信さまに思いを馳せながら、いつしか眠りに落ちていった。
翌朝、宿を出発し、無事に春日山城に戻った。
出迎えてくれた信玄さまたちの姿を見たらホッとして、泣きそうになる。
もう一度お礼を言おうとしたら、すでに謙信さまの姿はなかった。