第5章 卒業まで
「ツナ」
後ろから声を掛けられて振り向けば、いつもと変わらない狗巻先輩。
私服のパーカーに黒のマスク。整った亜麻色の綺麗な髪が、暖かな風に小さく揺れていた。
ほとんど手伝う事もなく、少し窓やクローゼットを掃除しただけだったけれど。
狗巻先輩の手元には雪の好きな紅茶のペットボトルがあった。
「明太子」
お疲れさま、と渡されたペットボトルを受け取る。
「ありがとうございます」
「いくら」
蓋を回してお茶をひと口を運んだ。
ふと見た狗巻先輩の背後には、何もない空間。
「本当に…、卒業しちゃうんですね」
雪が部屋を見渡せば、狗巻先輩もその視線を追って部屋を見た。
「しゃけ」
頷いて、小さく呟いた彼の言葉に、深い意味は感じられない。静かな空間に、その言葉は吸い込まれていく。
ちらと見れば、紫の瞳ががらんとした部屋を見つめていた。4年間を過ごしたその部屋に、狗巻先輩は何を思っているんだろう。
おにぎりの言葉は、表情や仕草で意外と理解に難しくはなかった。足りない言葉は行動で示してくれたから。狗巻先輩の好きを疑った事はない。
先輩が、大好きだった。
「好き」だと、一緒に過ごした時間にたくさん伝えて来た。たくさんの「好き」ももらった。
離れたくない。
一緒に居たい。
別に任務があればまたすぐに会える。
スマホに連絡をすれば、狗巻先輩はきっと雪との時間を作ってくれる。
“作ってくれる”。
その単語が何だかやけに胸に引っ掛かってしまう。
ヤダな、とそう思ってしまうのは、雪のわがままだろうか。