第1章 私の好きな人
「お戻りですっ!」
「信長様のお戻りですっ!」
安土城内に、城主である信長が戦より戻ってきたとの声が響いた。
針子部屋で着物を縫っていた私は一瞬手を止め頭を上げたけれど、すぐにまた着物を縫い始めた。
「紗彩様、お迎えに行かれなくて良いのですか?」
私の隣で作業をしていた針子が心配そうに私を見る。
「はい、大丈夫です。心配して頂きありがとうございます」
(だって、血だらけの甲冑姿なんて見たくない)
「でもあの…紗彩様が行かれないと、またこの前のように信長様がここに来て品物を荒らされるのでは…」
「……あぁ……」
そうだった。
前回戦から戻った時、今日と同じように出迎えず針仕事をしていたら、甲冑姿のままここに乗り込んで来て着物を踏み荒らして機嫌が悪くなったんだった。
「そうですね。出迎え…行ってきます」
「はい。行ってらっしゃいませ」
行くと聞いてホッとした針子の顔に複雑な気持ちを覚えながら、私は広間へと向かった。
城内は戦帰りの兵たちで溢れ返っている。
(気持ち悪い……)
鉄と血と汗の混じり合った不快な匂いが辺り一面に充満していて、思わず手で口を覆った。
広間には既に信長様がいて、女中達が甲冑を外していた。
「紗彩、やっと来たか」
部屋に入らず廊下からその光景を眺めていた私に気付き、信長様が声をかけた。
十日ぶりに聞く、低くてよく通る恐ろしい声。
「信長様お帰りなさいませ。ご無事のお戻り何よりです」
部屋に一歩だけ入り、腰を下ろして頭を下げた。
「ふんっ、色んな世辞を今まで聞いてきたが、貴様のが一番嘘くさい」
口角を上げ挑戦的な笑みを浮かべた信長様は、甲冑を外す女中達の手を止め下がるよう伝えた。
「紗彩様、後は宜しくお願いします」
「お願いします」
私を睨むように一瞥して、女中達は部屋を出て行った。