第35章 どうか
怒られるのを覚悟して、私は小さな声で話し出した。
「黒井さん。」
「…む。」
沖矢さんがバーに潜入したときに、私に名乗った偽名だ。
その名前を出したとたん、降谷さんは肩を揺らした。
「それです。」
「…どういうことだ。」
「名前を出しただけで、降谷さんは表情を変えました。」
「…。」
「いつも冷静で、何事にも動じず仕事をする降谷さんを、ここまで変える人物。それが気になったんです。」
「黒井だなんてふざけた名前をつける辺りが腹立つだろう。」
終始眉を寄せ、本当に彼が気になって仕方ないらしい。
「赤井秀一さん…ですよね?変装していたので、資料で初めて顔を知りました。」
私は沖矢さんとバーで潜入したときの顔しか実際見たことがない。
「そんなにあいつが気になったのか。」
「いえ、そうじゃなく…。」
「じゃあなんだ。」
ぷりぷりと怒っている降谷さんには何を言っても信じてもらえるかわからないけど。
「…あ、赤井秀一さんって人が…羨ましいなって。たった名前を聞いただけで降谷さんに、「あいつー!」って考えてもらえる赤井さんが。」
「…。」
「あぁ…もう。梓さんの時もですよね。安室さんと仲良しで羨ましいとか、降谷さんの感情を動かず赤井さんが羨ましいとか…。」
私は両手で自分の顔を覆った。
「…こんなに自分が独占欲強かったなんて。」
「めぐみ…。」
優しく私の名前を呼ぶ降谷さんの方を見ることができなかった。