第35章 どうか
確かにいつもの降谷さんとは違うかもしれない。
高橋の言う『鬼気迫る感じ』ではないけれど、何か言おうとして、口籠る感じは、以前にも何度かあった。
私たちが恋人同士になる前の口下手で不器用な時。
私に本当は何か言いたいけれど、言葉にしないのだ。
それか、
仕事で何か疲れた時に私に甘えてきた時。
仕事の愚痴は言えないから、静かに甘えてくるのだ。
どっちだろうか。
私の下で少しむすっとしている降谷さんの横顔を見つめた。
『何かあったか?』と、聞いたところで降谷さんは何も言わないだろう。
私はそっと降谷さんの耳と頬の辺りを両手で挟むように撫でた。
「…っ。」
少し驚いた表情の降谷さんの鼻の頭にそっと自分の唇を寄せた。
「ーー…えと。いつもお仕事お疲れ様です。」
きっと疲れてるけど、口にしないのだろうと私は労いの言葉を贈った。
「ーー…零、さん。」
まばたきを何度かして、組み敷かれた降谷さんが下から私を見つめたまま固まってしまった。
「またそうやって…!」
「わっ、ご、ごめんなさい!」
急に大声を出して起きあがろうとする降谷さんの上から避けると、私はとりあえず名前を呼んだことを謝った。
「めぐみのせいで、知らない感情ばかりだ…。」
道場の畳の上で二人。
誰もいない床にぺたりと座っていた。
「ーー…私も。」
「私も降谷さんのこと…自分が思っている以上に好きかもしれない…です。」
道着で畳の上に正座をして、自分の膝を見つめながら、そう呟くと頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「いつも、めぐみはまっすぐ僕に伝えてくれるな。」
「…だって言わないと、後悔しそうで。」
「……そうだな。」
降谷さんはふわっと優しく笑った。
「言わないと…わからない。…か。」