第3章 花氷【夢主視点】
それゆえ、喜怒哀楽を表現するのは得意ではないので、そこをつつかれるとあまり良い気分ではない。
「ゆめは笑ってる方がイイと思う」
そう言って彼は青い瞳を輝かせ、はにかんだ様子を見せた後に部屋を飛び出した。
元気に廊下を駆けていく悟様の後ろ姿に、ポカンとしつつも、クスッと笑いが洩れる。
それから彼の成長は早いもので、今までの鬱憤が爆発した反抗期は凄まじかった。
部屋一つめちゃくちゃにして逃亡した挙げ句に、家出に繋がったりして、非常に手を焼いた。
家出をした時は、彼が帰るまで気が気でなく、生きた心地がしなかった。
彼には、本当の弟のように愛情を注いだ。
悟様が私を姉のように慕ってくれる空気が心地好かったのも事実だ。
いつの間にか、私を見るその視線が変化したことに気づいていたが、わざと知らぬふりをした。
ひたすら私に注がれる、熱情と切なさを含む眼差し。
私にだけ見せる豊かな表情。
私にだけ向ける甘く穏やかな声音。
それは本人だけが自覚せず、周囲の人間をざわつかせるには充分な要素であった。
当時の女中頭には早々に誰かと結婚することを推奨され、何度か見合いもしたが、一生添い遂げたいと思う男性は現れなかった。
誰と共に時間を過ごしても、頭を横切るのは悟様のことばかりだ。
自分よりも、あの方の行く末ばかりが気になってしまう。上の空の見合いなど、上手くいくはずもなかった。
――そういえば、彼に惹かれている自分に気付いたのはいつだった?
いつの間にか、背丈が私を追い越した時か。
高専の長期休みに悟様が実家に帰ってきた時、耳まで赤くしながら「誕生日祝を渡していなかった」と言って、花束を押し付けてきた時だったか。
私のお見合いが失敗したと報告したら、嬉しそうに「まだゆめと一緒にいられる」と笑顔を見せた時か。
否。
きっと、彼が五条家当主になった日だ。
それは我々、五条家の影の者たちの願い成就の日でもある。
→