第1章 Forget me not
入ったのはどうやら男の部屋らしい。
ベッドと本棚があるだけの質素な部屋だったが、清潔でホコリひとつない。
とにかくローズはその場に座り込み、息を整えた。
この家の住人が良い人なのかは置いておいて、ひとまず命の危機は去ったと考えていいだろう。
「おい、ガキ。ここに女が来なかったか?」
人さらいたちの声がすぐ近くで聞こえた。
咄嗟に口に手を当てて息すら殺す。
「あ? 知らねぇな」
「嘘をつくな。この家に飛び込むのが見えた」
「ここは穏便にいこう。女を引き渡せば金をやる」
机の上に重たいものが置かれる音がした。ついで金属の擦れる音も。かなりの金を人さらいは男に差し出したらしい。
ローズは俯いた。
見ず知らずの女を渡せば大金が手に入るのだ。それを受け取らない馬鹿はいない。
ドアの向こうはしばらく無言だった。
次の瞬間、金の入った袋が地面に叩き落とされた。
ガシャンッと大きな音がローズの鼓膜を貫く。
「……は?」
「女なんて知らねぇっつったんだ。聞こえなかったのか?」
ローズは目を見開く。
男はローズを売らなかった。なぜかは知らないが、大金よりローズを優先させたのだ。
「おいおい。痛い目に遭いたいのか?」
「やれるもんならな」
再び沈黙。刹那、人を殴る鈍い音がしたと思うとドアが裂ける音が響いた。
「兄貴っ!」
人さらいの1人が叫ぶ。
ドアを突き破り、階段を転がり落ちる人さらいの男の様子が容易く想像できた。
「ひっ」
「今朝掃除したばっかりだ。死にたくなけりゃとっとと失せろ」
男の唸り声にも近い声に、人さらいは完全に負けた。
荒い息遣いがしたと思ったら、「兄貴!」と叫びながら気配が遠くなっていった。
「終わったぞ」
呆然としていると、ドアが開いて眉間にシワを寄せた男がローズを見下ろした。