第1章 火筒の響遠ざかる
1894年、7月25日。
八重は鶴見から送られてきた電報を読んで肩を落とした。
日清戦争が始まったのだ。
当然鶴見は軍人として朝鮮半島へと行くことになる。
またしばらく、彼と会えないのだと思うと、八重の胸には寂しさが芽生えた。
「八重さん。お夕餉の準備の手伝いをお願いします」
部屋のドアがノックされ、女中の顔が隙間から覗いた。
八重は「はい」と返事をし、椅子から立ち上がる。
電報は丁寧に畳んでポケットへ入れた。
「日本国の勝利を願っております」
そっと囁き、八重は部屋を出た。
その日から、八重は鶴見へ宛てた手紙を書き始めた。
今日はこんなことがあった、こんな料理を作った、明日はここへ行く予定だ。
他愛もないことばかりだが、忙しいはずの鶴見はいつもきちんと返事を寄越してくれていた。
そしてごくたまに、その手紙の中に戦場の悲惨さが記してあることがあった。それは本当に短いものだが、八重の心を揺るがすには十分すぎるものだった。
戦争は恐ろしい。
毎日人が死んでいる。
敵も味方も関係なく、銃で撃たれ、刺され、爆発に巻き込まれ。あまりにも、たくさんの人が死んでいた。
鶴見に用意してもらったお祈りの部屋で、八重は朝と夕に神への祈りを捧げる。
毎日毎日、死んでゆく人のことを想った。
毎日毎日、鶴見の無事を祈った。
毎日毎日、戦場に思いを馳せた。
そんなある日、八重は閉じていた目をハッと開けた。
小さなステンドグラスの窓に日光が注がれ、きらりきらりと部屋の中に光を散らす。
微笑むマリア様の絵を見上げ、八重は両目から涙を流した。
「……嗚呼、神よ」
声が聞こえた。神の声が。
神は仰られた。
「隣人を、愛しなさい」
どのような人でも、心を持って接しなさい。
人を助けなさい。
そんな声が聞こえたのだ。
八重ははらはらと涙を流し続け、ぬかずいた。
その瞬間、八重は決意した。
看護婦となり、戦争で傷ついた人を救うと。そして、父である鶴見のそばでこの身を尽くすと。