第2章 跡には虫も声たてず
下ろされた鶴見の手の甲を、八重は空いた左手で撫でる。
「あのころは幼くて気づきませんでしたが、私もその劇場の一員なのですね」
軍人のように人を殺すことはできない。
真逆の人を救うということで、八重は鶴見のそばにいる。
彼のためなら命を捨てることもいとわない。
八重が笑うと、鶴見は痛みに耐えるように顔を歪めた。
「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」
「いいや。八重」
手を引っ張られ、顔が近づく。
首筋に彼の手が回る。ぽすん、と顔が鶴見の肩に埋まった。
「つ、鶴見、さん?」
「……おまえは、違う」
家族になってから何年も経っているが、こうして抱きしめられるのは初めてだ。
せめて傷には触れないようにと、もぞもぞと身動きする。
熱い息と囁きが耳にかかった。
「おれはちゃんと、おまえのことを愛しているよ」
なぜか彼の声は、今にも泣き出しそうなほど震えていた。
「おまえの命をおれのために使わせることは決してない。だから、約束してくれ」
首筋の手が後頭部に当てられる。痛いくらいに強く抱きしめられる。八重は鶴見の肩口に顔を埋めたまま、相槌を打つ。
血と硝煙と土と、彼のにおいがした。
「おれを残して、死なないでほしい」
声が出てこなかった。
なんと返せばいいのかわからなくて、ただ弱く笑うしかなかった。
「そんなの、私のセリフですよ」
死ぬ確率で言えば鶴見のほうが高い。
今回だって、もし脳の治療ができる佐野看護婦長がいなければ。もし戦場から野戦病院までの湖を渡るソリがなければ。
鶴見はこうして生きてはいない。
「私はいつも、鶴見さんとみなさんの無事をお祈りしています」
「……ありがとう」
ふと腕から力が抜ける。
「鶴見さん?」
身を起こして呼びかけるが、返事はない。
規則的な寝息が聞こえてくる。
どうやら眠ってしまったようだ。
「……おやすみなさい」
囁き、八重は立ち上がった。