第10章 終章 わたしの心の青海原
それから彼は少し間を置いて、波が来ない距離の海際でふと、立ち止まった。
「……ああ、オマエ昔、この辺で溺れてたんだよな。 三歳んとき」
「えっここ!? 水さえないじゃないの」
砂浴びするサイかカバじゃあるまいし。
「引き潮だろ……しっかりしろよ理学部」
「私の専攻は数学科だよ。 へええ……? なんだか不思議だねえ……あ、満月で潮汐が大きくなる、とかお父さんが言ってた。 あの人釣りも好きだから」
「……月の引力に引っ張られるのが海とすると、オマエは月になんのかな」
彼がぽつりとそんなことを言うので、「え? それは、逆じゃないのかなあ?」
私はすき好んでだけど、常にタクマさん基準だし。と返事をすると。
「……さあな」ひと言呟き、彼がまた水平線に視線を移した。
改めて、波に洗われた自分の足元をじっと見詰める。
ここは小さな頃の私がいた場所。
月が作る道は、今立っている場所から水平線の彼方まで続いている。
ポツポツポツポツと、幻想的な濃い青紫の綾波が形作る黄金色の灯りの合間に、遠い思い出が浮かんだ。
波打ち際で私はタクマさんと出会って。
少しの間、父と母に手を引かれ。
また彼と再会ししばらくの間、距離を置いては同じ時間をタクマさんと歩んだ。
そして、光の道の向こう。 半ば辺りに見えるのは今こうしている、手を繋いで歩く私たち。
それは水平線の彼方まで。
きっと見えなくなるまでずっと続いて、小さなタクマさんなんかもたくさんたくさん増えて、いつか彼と抱き合って天に還れれば、すごく、最高に幸せだと思う。
『人生とは、地図のない航海のようなものだという』
誰の言葉かは忘れたけれど、昔ここで手を繋ぎながら父がそう教えてくれた。
私の地図は手の中にある。
そしたら思い切り帆を張って、私はそれに向かって一生懸命に進むだけ。