第83章 ヒーロー
両手におさまってしまいそうな、産まれたばかりの小さな女の子。
赤ん坊のキリに初めて、薬物投与をした時。
あの日の衝撃を、一生忘れはしない。
あれほど、滾るような興奮を覚えた日はない。
ナガレの人生でも、これは最高傑作になると、すぐに理解した。
順風満帆なナガレの生活だったが。
キリと出会い、湧き上がる研究意欲を抑えきれず、ナガレはついに失態を犯した。
実験体の一体が、薬の容量超えを起こして死んだのだ。
《くそっ、何のためにこれまで時間をかけてきたんだと……っ》
住人に、にこにこと笑顔を見せ続けて、奴らが病気や怪我をすれば、研究の何の足しにもならない薬だって作ってやった。
優しい言葉をかけて、共に時間を過ごし、その信頼を得てきたのに。
それが、ただ一時、薬の量を増やしただけで、水の泡になってしまうのか。
今ここで、研究を駄目にするわけにはいかないのだ。
しかしながら、そんな初の容量超え死亡事件は、思わぬ展開を呼んだ。
すぐにそれを聞きつけた、実験体の親が駆けつける。
大粒の涙を流して、失敗作を抱く姿に、ナガレは苦い顔を浮かべる。
信用というのは、築くのにどれほど時間をかけても、壊れる時は瞬く間に壊れる。
もうここでの実験も終わりかと、そう思いかけた時。
【うぅっ、この子の死をどうか、どうか里のために役立てて下さいね】
予想外な言葉に、ナガレは呆気に取られた。
どこまで……どこまで、こいつらはお人好しなのか。
この期に及んで、ナガレを信じ、子を預けるというのだ。
騙されているとも知らず、自ら搾取され続ける彼らに、つい笑い声を上げてしまいそうだった。
【必ず……っ、必ず! 約束します】
守られることのない約束に頷いて、失敗作を大事そうに抱えて帰った住人。
こうしてナガレの予想に反して、事は大事にならず、穏便に済んだ。