第34章 さよなら またね
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ーー子鹿の話しーー
奈良家に保護されてから、どれほど経っただろう。
その日は初めて、家の外に出た。
そして、懐かしい匂いのする森に着いて。
仲間の群れの近くで、抱かれていた体を降ろされたかと思えば、シカマルとキリは自分を待たずに来た道を駆けていく。
(どうして、なんで。待って、行かないで。どうして)
そんな思いが胸を埋め尽くして、とにもかくにも二人の後を追った。
少しずつ離れて、小さくなっていく二人の姿。声をあげて叫び続けても立ち止まってはくれない。
どうして。
彼はいつも、近付いていけば「なんだよ」と言いつつも頭をなでてくれたのに。
日なたで昼寝をしているところに、そばにいけば、ぽんぽんと一度背中をなでてから、共に眠ってくれていたのに。
待って。行かないで。
そう、ひときわ大きな声で叫べば、振り向いたキリは更にそのスピードを上げた。
彼女はーー。
いつもの森で、好奇心から群れを一人で離れて、そして知らない間に迷子になって、崖を転がり落ちてしまった時に、自分を助けてくれた人。
突然現れた人の姿に助けを求めていたら、足を踏み外して崖から落ちそうになって、死の恐怖を感じた時に、すぐさま飛び込んで来てくれた人。
自分を抱いて、崖を登ろうとして何度も途中で落ちていたけれど「必ず助けるからもう少し待っていて」と優しく言ってくれた。
この人の腕に抱かれている間、先ほどまであった恐怖はどこにもなくて、かわりに自分の胸を埋め尽くした安心感。
近付いていけば、いつだってふわりとたくさんの愛情を与えてくれた人。
一人で寂しい時に、抱きしめて一緒に眠ってくれた人。