第8章 晩酌②
(伽耶はまだ来んか…?)
書簡から目を離し外を見れば、もう日は沈み夜の帳が辺りを覆い始めている。
(来ぬ…つもりか……?)
今朝懐剣を渡した時と昼間に城下で会った時の奴の顔を思い浮かべ、ふとそんな思いに駆られる。
視線を廻縁に移せば女中に用意させた酒の膳がまだ来ぬ客を無言で待っている。
(もしも奴が来なければどうしてくれよう…?)
そう考えるだけで自然と口元が緩み愉しくなる。
こんな気持ちは久しぶりだ。
「信長様、失礼します」
伽耶の訪れを待っていると、秀吉が文を片手にやって来た。
「なんだ貴様か」
「夜分にすみません。急ぎの文が届きましたので是非お目通しを」
伽耶が来るものだと思っていたのに、来たのは秀吉の持って来た急ぎの文…
感じたことの無い感情が込み上げてくる中、俺は文を受け取り目を通した。
「水害か…」
「はい、先日の大雨で橋や家屋が流され、村がほぼ壊滅状態で助けが欲しいと…」
「そう遠くない地だな…。明朝物資と人員を確保次第早々に救援部隊を送ると使者に伝えろ」
「はっ!」
秀吉は頭を下げたが出て行こうとしない。
「どうした?用が済んだのなら行け」
「誰かを、お待ちですか?」
縁側に設えた酒の膳を見て秀吉が尋ねる。
「だとしたら何だ?」
(なぜ貴様に答えねばならん)
「あ、いえ…酒の膳もそうですが、私が入って来た時の信長様の顔が落胆したように見えましたので…」
「落胆…?」
その言葉で、俺の胸に渦巻いた感情の正体を知る。
(そうか。俺は伽耶ではなく秀吉が来たことにガッカリしたのか)
「ふっ、貴様に俺の胸の内を指摘される日が来るとはな」
だが気分は良く笑いが込み上げる。
「いえっ、俺はそんなつもりでは…」
「いや、良い。貴様の推測通り今宵は伽耶と酒を飲む約束をしておる」
(一方的な約束だがな…)