第17章 月を憶える
昼食を作って、一番最後に頂いてから(そりゃアタシがこの店で一番下っ端だしね)後片付けと夕食兼お客様に出す料理の下ごしらえをする
日暮れの頃に通いの料理人さんが来るけれどそれまでに面倒な野菜の泥落としや煮浸し、漬けなんかをすます事も私達見習いの仕事だ
それに加えてアタシは妲己様から言い渡された「精力増強料理」を何かしら毎日一品作る事になっている。
なかなか好評なようで最近少しだけお稽古の時間が免除されている。
「・・・よし、今日はこれでいかな?」
全ての調理を終えてフゥと一息ついて額の汗を拭う
薬局勤めの時から台所に立つ事が増えたので火を扱うのにも随分となれた
この薬膳だって全部彼から教わったレシピや効能を基準にして作っている
こう思い返すと多くの物をもらったな、って苦が笑いしていると
「石榴ちゃん、そろそろ稽古の時間だよ。アタイが後はやるから行っといで。」
「はい、有難う御座います。ではお先に失礼します。」
小ィ姉さんが声を掛けてくれたので席を外して同じ見習いさん達と共有している部屋に向かう
稽古着に素早く着替えてから三味線と扇子を手にして見世に向かう
格子掛けられた華美な鳥籠は夜になれば女郎が手薬煉ひく場所だが、昼の今は予約客しか通さないため誰も居らずガランとした広間になっている
ここでアタシ達は毎日の様に歌と踊りの練習をする。
誰かに見られているかもしれない、という緊張感。その代り磨かれる度胸と業
そして顔出しせずとも道行く誰かに見出されるかもしれないという希望。
様々な事情を背負ってアタシ達は此処で働く。
「「「よろしゅうお頼み申し上げます」」」
他の子たちと一緒に三つ指ついて先生に頭を下げる
小唄に和歌、今日もお稽古は厳しい
何度手を叩かれ苦言を頂いただろう
そうこうしていく間に明るかった空は暗くなり宵闇を迎える
と雨が降り出す
またたく間に雨音を増したそれから逃げる様に今日の稽古は終わった
広げたお道具を仕舞ってふと見上げた見世の外に、あの人がいたような気がして
アタシは慌てて道具を抱えて奥へと引っ込んだ
嗚呼アタシ、別れたのに、なんで今更、逃げようとするの?
鼓動の激しい胸を押さえつけながらアタシは無言で泣いてしまった