第72章 結婚するまで帰れません(1) 岩泉一
「普通じゃあり得ぇもんな」
「こっちきて奇跡の連続。自分の持って生まれた運も使い切ったんやないかな。こんな早く夢が叶うなんて思わへんかった」
「つっても結婚したわけじゃねぇぞ」
「そやけど。でも私、もし一君と結婚できへんくても今日のことは忘れへん」
「何だよお前らしくねぇな」
「抱っこしてくれてる時な?一君の表情がすごく自然でそれがこんなに近くにあって…。体の力が抜けてく感じがしたん、ああもう幸せですって…」
「ってことは俺のことは諦めんのか?」
「んーん、そやない。幸せ過ぎて胸がいっぱいになったん。まだまだ途中やけど、ここまで来れたことが幸せやと思ったん」
「じゃあ俺もついでにお前に言っとくわ」
「え?」
「今日、一日過ごして確信したことがあんだよ。いちか誰にも渡したくねぇってのが俺の答えなんだなって」
見開いたいちかの目をしっかりと見つめて一言だけ“好きだ”と呟く。
「………嘘やん」
「嘘の方がいいか?」
「ちゃう、そうやないの。信じられへんくて…。あかん、体の力抜けそ」
「おい、大丈夫かよ」
ふらつきそうになった体を支える。抱き寄せるつもりはなかったけど結果的にそうなってしまった。細い腕、ふわふわとした真っ白な衣装、メイクされていつもより大人っぽく見える横顔。いちかの心臓の音が速い。
「夢やないよね。ドッキリでもないよね」
「んな面倒臭ぇことするかよ」
「私、今日誕生日やねん」
「マジかよ。なんで言わねぇんだよ」
「だって聞かれてへんもん」
「馬鹿。言えよ」
「でももうそうなんどうでもええ」
いちかの声が震えていた。瞳には溢れそうになった涙が耐えている。
「大丈夫かよ」
「……うん」
今になっていちかの想いの強さを知った。俺が思ってるよりも強くなくて俺に向けた想いに縋っていちかはこの場所まで来た。そして俺も同じだけ、いや、今はそれ以上に強い想いをいちかに向けている。
「お願い、一つだけええ?」
「何だよ」
「プレゼントなんかいらんから、……キスして?」
いちかの表情に、掠れた声に、感情の言語化が追いつかなかった。気付けはいちかを抱き締めてその色付いた唇を俺のものにしていた。
慣れないキス。なのに全部が満たされていく。
誰よりもいちかが欲しかったのは俺だった。