第72章 結婚するまで帰れません(1) 岩泉一
絶対的な自信があるかのように真っ直ぐな視線を俺に向ける。そうだよな、それくらいの気持ちがなきゃこっちで住むって決断もできないよな。
「んじゃまぁせいぜい頑張れ」
少し前までは“諦めろ”って言葉がすぐに浮かんだのに、今はこいつのブレない姿勢に俺はいつか負けるんだろうなって、そんな予感すらする。
「はい。頑張ります」
「でも俺に期待はするなよ」
「先は分からないから、私は振り向いてもらるように頑張るだけです」
「前向きだな」
「もう後戻りできないので、前しか向きません」
話しているうちに気が付けばもう目の前は柳瀬のアパートだった。
「今日の事、お母さんには…」
「言ってねぇよ。言ったら心配するからな」
「よかった、ありがとうございます。余計な心配はさせたくなかったから」
「言わねぇ代わりに明日は朝飯食いに来い」
「え?」
「まだ病み上がりみたいなもんなんだし、ちゃんと食わねぇと」
「いいんですか?」
「俺がそうしろって言ってんの」
「分かりました。じゃあ一君も一緒に食べてくださいね?」
「仕方ねぇな。その代わりちゃんと食えよ。死ぬ気で食えよ」
「はい!死ぬ気で好きなのでそのつもりで食べます」
「冗談だよ」
「でももう心配かけないようにするから。…今日は本当にありがとう」
怖かったって呟いた言葉が柳瀬の本音なんだとしたら、俺が思っている以上にこいつは強くなんてなくて俺よりも不器用なんじゃないのかって思った。でも知れば知るほど、理性とは裏腹に抑えが効かなくもなりそうで自分もヤバいとこにハマってしまいそうだった。
誰かを好きになったって大切に思ったって前みたいに簡単に裏切られることだってあんだ。それならもうこれ以上踏み入れたくない。俺らしくない臆病さが気に入らない。
だけど、そんな思いだってかき消すんだよ、こいつの笑った顔見ると……。
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