第62章 ※遠い初めての夜
杏(…………。)
杏寿郎はそうされる度に煽られてしまっているのを感じていた。
優しく、怖がらせずに終えたいのに、拒まれるとどうにも辛抱し難い。
猫が逃げる獲物を見て咄嗟に手を出してしまうように、反射的に手荒く攻めたくなってしまうのだ。
杏(抑えなくては…。初めてなのだから優しく、)
そう律している時に、眉尻垂らした赤い顔の菫がまた胸を押す。
杏寿郎は一旦顔を離すと、その扇情的な表情と恥から涙を滲ませた瞳を見てぞくりと体を震わせ、短い息を吐いた。
杏(…………抑えるんだ。)
そう思いながらも喉をごくりと鳴らした時、菫が口を開いてこんな事を言った。
「杏寿郎さん…、今夜はここまでに致しましょう…。」
杏「……………………………。」
てっきり最後までするものだと思っていた杏寿郎は余りにも序盤で拒まれ、呆然としてしまった。
菫は恥ずかしそうに視線を落としていてそんな杏寿郎に気が付かない。
「その…、少し刺激が強かったですが、とても幸せな気持ちになりました。」
しかし、初夜への理解が浅い菫がはにかみながら本当に幸せそうにそう言うと、杏寿郎は自身の欲などどうでも良くなってしまった。
杏「…ああ、俺もだ。堪らなく幸せな気持ちになった。」
そう言うとちらりと視線を上げた菫を優しい瞳で見つめ返し、二人は欲の消えた空気の中で微笑み合ったのだった。