第4章 病魔 前編
(……私は、)
彼女と我ら執事の間には、目に視えぬ壁がある。
それは見上げる程に高く、それでいて厚く頑丈な壁だ。
微笑んでいた彼女に滲む、拒絶をともなった棘が、ベリアンの胸を軋ませた。
(私に貴女の痛みを分かつことは不可能なのでしょうか)
染みのように広がる痛みを、強く頭を振ることで散らす。
こんな事ではいけない。このような想いは抱くことすら許されない。
遮二無二足を動かしていると、いつの間にか到着したようで。
しかし、誰もいない筈の己の研究室から、鈍い灯りがもれている。
「…………!?」
不審が胸のなかを塗りつぶしていく。
急いて階段を降りきると、控えめに叩扉する。
けれど、しん、と音を許さぬままで。
迷った末に、「失礼いたします」とドアノブを回した。
そこには誰もいなかった。ただ、室内は無惨に荒らされていて。
一輪挿しの花瓶が割られ、そこに挿していた薔薇の花弁が散らされている。
部屋の奥にあった本棚はことごとく倒され、
書物や己がつけていた記録帳がそこかしこに散らばっており、
剥製の天使の模型は硝子が割られ、光なき眼がこちらを見ていた。
そして、その中央に羊皮紙の切れ端が置かれている。
おもむろに拾い、広げてみると。
「……『彼女を返せ』………。」
走り書いたような筆跡で、そう記していた。
丁寧に折りたたんで、上着の内ポケットへと仕舞う。
「……ルカスさんに相談しなくては」
胸のなかでは一つの予感が浮上していて、有り得ないことだと説き伏せる。
………けれどそれでも、
漠然とした胸騒ぎをともなった、さざめく心を静めることはできなかった。