第1章 はじまりの夜
「うぅん………、」
眠るヴァリスの瞼に、いつかの記憶が映し出される。
暗いくらい、果てのない闇。月灯りさえ潰える森のなか。
その路を走り抜けていく幼い自分がいた。
「………っ」
身体中が痛い。
殴られた皮膚は熱く火照っているのに、裸足の足先は氷のように冷たかった。
(もっと、………もっと早くいかなきゃ、)
既に足先の感覚はない。けれど立ち止まる訳にはいかなかった。
後方では懐中電灯の光がさかんにさ迷っている。
それが誰かなんて、考えなくともわかっていた。
(母さん……。)
走り続けながら、母のことが思考を埋めつくしていく。
『おまえのせいでリラは死んだんだ』
呪いのごとくこだまする父の声音。
心のなかを茨が覆っていき、それがより悲しみを助長させていった。
(……やめて、)
木陰に身を隠しながら、ただその身を震わせる。
できる事ならこのまま飛び出して、父にみつかり死んでしまいたかった。
でもそれは、自分を犠牲にしてあの部屋から連れ出してくれた母の想いを全否定する行為だ。
両の指で唇を覆い、いかなる音も発せないようにして、
父がこのまま通り過ぎてくれることを何度も願う。
「………?」
ふいに視界が陰り、ヴァリスはおもてを上げる。
見知らぬ青年が彼女の眼前にしゃがみ込んでいた。
闇夜を紡いだ漆黒の髪の狭間で、その瞳が案じるような感情のいろを宿している。
その両目は、黒目が人の流す血のように紅い。
そのガーネットのような瞳のなかに、惚けたように彼を見上げる自分の姿があった。