第6章 咲 き 香 る[煉獄杏寿郎]
宇髄の手当てを受けて、やっと帰ってこられた屋敷の厨は、春の香りでいっぱいだった。開けた窓からは桜の香り、鰆の焼ける香りに、筍の煮える香り。
目に映る景色も、鼻に感じる甘い香りも、肌で感じる風も感情を揺さぶってくる。
開いた窓から、ハラハラと落ちる桜の花びらが見える。
満開を迎えた桜の花は、あまりに短命で儚く終わりを迎える。
そしてやがて青々とした葉をつけ、初夏の訪れを知らせてくれる。
儚さは、美しさだ。満開の桜も、もちろん美しい。
しかし、その花を風に散らしながら消えて行く姿もまた、人を魅了する。
宇髄は俺を桜のようだと言った。だが俺は散らない。はなの元へ帰ると約束をしているのだ。
この愛おしい後ろ姿を眺めるために、俺は必ず帰ってくる。何があってもだ。
背を向けるはなが厨の窓から外を眺めてため息を一つついた。
美味しそうな香りの中、何度も外を見る後ろ姿を暫く眺めていた。
もう少し眺めていようか、と思ったがはなの香りに混じった甘い香りに引き寄せられてしまった。
「はな…ただいま戻った」
持っていた菜箸が、手からコトンと落ちた。
体に回した腕にぽたぽたと雫が落ちる音がする。
また君を泣かせてしまったな。
「杏寿郎様、おかえりなさい…! あの、杏寿郎様、私…」
その先は俺から言わせてほしい、と顎を掬いあげて咄嗟に唇を塞いだ。
「んっ…」
「その先は俺から言わせてほしい」
俺に頭を預けるようにして口づけを受けたはなは、体ごと俺へと向き直った。向い合わせになり、改めて見つめると大きな瞳は今にも溢れそうな涙で満たされていた。
「すまなかった。君の気持ちも考えず、手前勝手に君を抱いてしまった」
「杏寿郎様、私の方こそごめんなさい。杏寿郎様は何度も私に謝ろうとしてくれましたよね? 私が避けたんです。でも…杏寿郎様をお見送りできなくて…長期任務だって知った時、とても後悔しました」
「俺が君に言わなかったのだ。君と離れがたくなってしまうからな」
「良かった…ご無事で」
「心配をかけたな。すまなかった」
「帰ってきてくだったのですから、もういいのです」