第16章 たったひとつの (五条悟)
マンションのエントランスを抜けた先に黒い車が止まっている。後部座席のドアを開けて待っている伊地知さんも見える。
ゆっくりと歩く悟から手を離して車に駆け寄る。
『伊地知さん!』
「さん?お、おはようございます!」
『おはようございます伊地知さん!私も乗せて頂いて大丈夫ですか?』
「もちろんですよ、どうぞこちらに」
『ありがとうございます』
反対側に案内してくれていつも本当にスマートなエスコート。ドアの角と乗り込み口に手を添えてくれる伊地知さんの優しさと気配りにはいつも感動する。
「おっはよ〜ん」
「おはようございます五条さん」
欠伸をしながらゆっくり歩いてきた悟にも同じように対応する伊地知さん。この人の有り難さを悟はちゃんと分かってるんだろうか。
「はあ〜朝からと一緒にいられるなんて♡」
『ちょっと近い…!離れて!』
私の腰に腕を回して抱き寄せるから思わず身を引く。
「離れないでよ。ちゅーしたい。だめ?」
『な、何言ってるの!』
「ご、五条さん…っ」
伊地知さんだって困ってる…!!
「なあに伊地知。今いいとこだって分かんない?」
「す、すみません…っですがさんはまだ未成年ですよ…っ」
「伊地知かたーい。僕正論って大嫌い。」
そう言いながら私の手を握ってすりすりと自分の頬を擦り寄せる。時折指を絡ませたり手の甲にキスをしたり。
『ちょっとホントに…』
「だってさっき伊地知見つけて僕の手離したでしょ?すっごい寂しかったんだけど。ちゅーしてくれたら機嫌直るかも。」
こうなったときの悟は面倒くさい。駄々こねるし折れないし…。でもこんな人前でなんて絶対無理…。
「ねぇはやくぅ。ちゅーして?」
『しない!』
「してくんなきゃ今夜も僕の家に連れて帰っちゃうよ?」
『…っずるい、よ』
「恵たちと映画鑑賞会したいんでしょ?」
『したい…』
『じゃあほら…して?』
アイマスクを首元までおろして私を覗き込むのは私が悟の瞳に弱いことを知ってるから。この目に見つめられると吸い込まれそうになる。ずっと見ていたいとさえ思う。ほんとに綺麗だなぁ。