❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国
第8章 水魚の交わり
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手元に寄せた燭台の明かりを頼りに文机へと向かっていた光秀はふと、閉ざされた襖の向こうに気配を感じて顔を上げた。入室の許可を得て、室内へ足を踏み入れて来たのは九兵衛だ。家臣は光秀の傍まで距離を詰めると静かにかしずき、低頭の姿勢を取る。
「先頃、早馬にて文が届きました」
「火急の用件か」
「さて、私にはなんとも」
簡潔に用件を求める主に合わせて、その家臣も端的な物言いをした。問いに対して明確な言葉を返さなかったのは、決して九兵衛が答えを濁したからではない。長年連れ添った優秀な部下がこういった態度を取る時は、大概厄介事がない場合だとおおよそ相場が決まっている。切迫した様子を見せないところを見る限り、差し迫った意図で早馬が飛んで来た訳ではないのだろう。
となれば───と、短く思案するより速く、自然と差し出された文へ手が伸びた。やがて文の天地が折られた表書きを目にし、光秀の双眸が柔らかく綻ぶ。
「まったく、お前も大概人が悪い」
「何の事でしょう」
一度緩慢に瞬きをひとつしてから、光秀が傍に控える九兵衛を見た。仄かに嘆息が混じる主君の科白すら素知らぬ振りを通し、九兵衛がさらりととぼける。表書きには、些か癖のある筆致で【光秀さんへ】と書かれていた。そのような宛名を添えて光秀に文を送って来る人物など、日ノ本広しといえど一人しか居ない。
「俺がこの宿へ滞在している時期に合わせ、馬を急がせたという事か」
「御館様のご慧眼、感服の至りにございます」
「大方お前が文を届けさせる際、口添えしたんだろう」
現在、光秀は自らの家臣団を引き連れ、織田傘下の大名が治める小国へ視察兼信長の名代として訪問を行った帰路を辿っている途中だ。
安土からそこそこの距離があった上、途中悪天候により悪路となった関係で数日間の足止めを食らった事も相俟って、帰りの予定がかれこれ十日以上も延びてしまった。
予め大まかな予定は伝えてあったが、それを大幅に過ぎた事もあり、つい何日か前に最愛の番へ文をしたため、届けさせたのだ。