第5章 秋影に時雨る心、声は見えぬ漣となりて
「この廃れた社にそぐわぬ風貌…。その香りは…」
「松橋亮十郎と申します…。姉…千鶴を…お助けください…。僕は、あの人に幸せになって欲しいだけなんです。売り飛ばされるなんてあんまりだ…!!
あんな父上のためになぞ…」
「千鶴…」
ふっと、禍々しさは落ち着き、辺りは月明りで照らされる。
姉の名をつぶやいた声は社の上で聞こえた気がした。
高貴さを感じる声と息遣いに、祠で眠る神の存在を想う。
「月の神様…」
しん、と、水を売ったように静まり返る辺りは、どこか人知を超えたものを感じる。
そこに感じる気配の主が己の姿を捉え、声が届いているように思った。
「神ではない…。が、望みを聞こう。私には、人を滅することしか手を貸せぬが…。」
天罰を与える…そのたぐいの事かと思った。
ただ、それは姉が望まぬことであるのは明白で、それは伝えなければならない気がした。
姉を悲しませてはならない。
幸せになって欲しいのだから。
「人を殺してほしいとは望みません…。ただ、姉には逃げて幸せになって欲しいだけなのです。」
「……それが姉にとっての幸せだと…」
「はい…。い、いえ…私が、姉の痛々しい姿を見てはいられないのです。優しくしていただいたので…」
「…そうか……気に…かけておこう…」
その言葉を最後に、忽然と僅かな空気の揺れを伴って気配は消え去った。
重たい空気も、不思議な感覚もすっと消え失せ、辺りは月の明かりに照らされて、草の葉が柔らかく光を反射するだけだった。
「何だったんだろう…」
不思議に思いつつも、先ほどの重たい空気が消えた瞬間になぜか安堵感に包まれて、”どうにかなるのかもしれない”と思えた。
「うぅ…。寒い…。師範に怒られるかな…。」
亮十郎はぼそりとつぶやき、身を震わせながら、その社を去ったのだった。