第7章 なんとなくの正体
あまりに楽しく、そして美味しい食事だったのでつい食べすぎてしまった。珍しく千寿郎も動けず、食べた直後から横になっている。父上も気怠そうに部屋に戻っていったので、きっと同じだろう。俺もそうだ。このあとは任務に出なければならないというのに、ベルトの穴を一つ緩めたほうが良さそうだ。
俺は部屋で隊服に着替え、炎柱の羽織を肩にかけ、日輪刀はベルトに通した。部屋を出て庭側の廊下に出ると、縁側に月城が座っていた。
「もう行くのですね。」
庭の方に顔は向けたまま彼女は言った。
「うむ、悪いが留守中はよろしく頼む。」
「お任せください。」
月城は立ち上がり俺と向き合った。月明かりにほんの少し微笑んだ顔が浮かび上がった。慈愛に満ちた、まるで母のような…。
その微笑を背にし、玄関へ向かおうとしたところ、左手が掴まれた。まるで引き止めるかのような掴み方でもあった。見なくてもわかる、この細く柔らかな指が彼女のものだということぐらい。振り返らぬまま、黙ってその手を強く握り返した。すると今度は俺の背によりかかるようにして頭をつけたのが分かった。珍しいな、まるで甘えるようなことをするのは初めてだ。
「どうかお気をつけて…」
背中越しに月城の不安げな声が聞こえた。いつもなら、何ということなく見送るのだが、今日はどうしたのだろう。昼間の一件のせいだろうか。
俺は振り返りながら、握ったままの左手を手元に引いた。すぐ後ろにいた月城が容易く懐に収まる。髪なのか着物からなのか独特な、だが女性らしい良い香りがした。
「案ずるな、すぐ戻る。」
俺は小さな子でもあやす用に一定の間隔で月城の背をそっと叩いた。だがそろそろ行かねばならない。名残惜しいが体を離すと思いの外月城は穏やかな顔をしていた。
「必ず、無事に帰ってきてください。」
今宵の月光のせいか月城の瞳はどこか神々しかった。そして優しかった。千寿郎にしか向けることのなかった眼差しと同じだった。
「俺は必ず帰ってくる。では、な。」
月城はそれ以上追ってくることはなかった。玄関では千寿郎がいつものように見送ってくれる。そこに月城の姿はなかった。何故か物寂しい。心配事もないはずなのだが。
俺は家を後にした。
指定された現場へと、今宵も急ぎ向かう。